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本文へジャンプ 小笠原流鎌倉古式弓道保存会 

<吾妻鏡に於ける御弓始・御的始>
吾妻鏡に最も早く「御弓始」が現れるのは、頼朝が挙兵した年である1180(治承4・庚子)年の暮れ、12月20日・戊戌に新造の御亭に於いて、酒宴のついでに「公長の両息殊に達者たるの由聞こし食さるるの間、件の芸を試みしめ給う」というその場の思いつきで、射手6人にて行われています。公式記録ではこれが最初ということになります。
新造御所の御弓始は、1236年 (嘉禎2年・丙申)8月6日・庚寅にも射手6人で、1252年(建長4年・壬子)11月21日・辛丑にも射手10人で、いずれも将軍の前で行われたという記述があります。

除魔神事のもととされる正月の「御弓始」「御的始」の吾妻鏡での記述を見ると、毎年執行日を決めていたようで、必ずしも日は一定していません。
また、由比ヶ浜などで射手を選ぶための予選があったことが記されている年もあります(1256年・1258年・1260年・1261年など)。
然るべき射手が少ないとの理由で本番に抜擢され、弓箭の面目をほどこした者もいたり(1258年)、予選も本番も個人別の個別的中まで記載されていたり(1260年)して、興味深いです。このときの的中記録は、当流で現在も使われている射手日記のとおり、○が外れ、中を塗りつぶした●が中りとして的中数とともに記載されています。

年月日 内 容 年月日 内 容
1188年(文治4・戊申)正月6日壬寅 射手4人 1239年(暦仁2・己亥)正月5日丙子 射手12人
1189年(文治5・己酉)正月3日甲午 射手1人 1240年(延應2・庚子)正月6日辛未 射手10人
1189年(文治5・己酉)正月9日庚子 射手10人 1241年(仁治2・辛丑)正月5日甲午 射手10人
1191年(建久2・辛亥)正月5日甲寅 射手4人×15度 1243年(仁治4・癸卯)正月10日丁亥 射手10人×25度
1192年(建久3・壬子)正月5日戊寅 射手6人 1244年(寛元2・甲辰)正月5日丙午 射手10人
1194年(建久5・甲寅)正月9日辛未 射手6人 1245年(寛元3・乙巳)正月9日乙巳 射手10人
1200年(正治2・庚申)正月7日甲午 射手6人×25度 1246年(寛元4・丙午)正月6日丙申 射手10人
1201年(正治3・辛酉)正月12日癸亥 射手10人 1248年(寶治2・戊申)正月15日甲子 射手10人×25度
1202年 (建仁2年 壬戌)正月3日 己酉 射手6人 1250年(建長2・庚戌)寒中の為中止 陸奥掃部助の申出による
1203年(建仁3・癸亥)正月3日癸酉 射手6人 1251年(建長3・辛亥)正月10日辛未 射手10人×25度
1205年(元久2・乙丑)正月3日辛酉 射手6人×25度 1252年(建長4・壬子)正月14日己亥 射手10人×25度
1209年(承元3・己巳)正月6日庚子 射手4人、奉行 1253年(建長5・癸丑)正月14日癸巳 射手10人×25度
1211年(承元5・辛未)正月9日癸巳 射手6人 1254年(建長6・甲寅)正月16日庚寅 射手10人×25度
1212年(建暦2・壬申)正月11日庚申 射手10人×15度 1256年(建長8・丙辰)正月13日乙巳 射手10人×25度
1222年(承久4・壬午)正月7日丙辰 射手10人 1258年(正嘉2・戊午)正月15日乙丑 射手10人×15度
1223年(貞應2・癸未)正月5日戊申 射手10人 1260年(正元2・庚申)正月14日壬午 射手12人×25度
1228年(安貞2・戊子)正月10日甲申 (記載無し) 1261年(文應2・辛酉)正月14日丙子 射手10人×25度
1229年(安貞3・己丑)正月15日甲申 射手12人×25度、奉行 1263年(弘長3・癸亥)正月12日癸巳 射手12人×25度
1231年(寛喜3・辛卯)正月11日戊戌 15度(7日甲午の為延期) 1265年(文永2・乙丑)正月12日壬午 射手10人
1237年(嘉禎3・丁酉)正月11日癸亥 射手10人 1266年(文永3・丙寅)正月11日乙巳 射手10人
1238年(嘉禎4・戊戌)正月20日丁卯 射手10人