トップ  概要   沿革  年間行事

                         SINCE 1980


< 草鹿のおこり >

源頼朝が富士の巻狩を行った際に家来が獲物をたびたび外すので、家臣に何故なのか聞いたところ、
武田小笠原の面々にお聞き下さいと答えました。そこで、武田小笠原を召して尋ねたところ、
両家は相談の上、草を集めて鹿のかたちを作り稽古させました。これが草鹿の起こりと言われています。 

このことから、元々は歩射と騎射で稽古のために行ったものでしたが、
その後、歩射の行事として式法が整えられ今日に継承されています。

吾妻鏡によると、1192年 (建久3年 壬子)8月9日(己酉)巳の刻に男子(後の源実朝)が出生し、
同月20日(庚申)、将軍家御産所において、両親が健在の6名の射手を召して草鹿の勝負が有ったことが記述されています。 

一番 梶原左衛門尉景季 比企彌四郎時員 
二番 三浦兵衛尉義村 同太郎 
三番 千葉兵衛尉常秀 梶原兵衛尉朝景(刑部の丞の子) 

また、1237年(嘉禎三年 丁酉)7月19日(甲午)には、8月の放生会で北條五郎時頼が流鏑馬を射る(16日)ので、
初めて鶴岡の馬場で行うのにあたり、北條泰時がサポート役で来て海野左衛門尉幸氏を招いて詳細を語り、
また佐藤兵衛尉憲清入道〈西行〉が流鏑馬の矢を挟むことについて意見を述べ、
下河邊行平、工藤景光、兩庄司、和田義盛、望月重隆、藤澤清親、三金吾、并諏方大夫盛隆、愛甲三郎季隆などが
感心したことから弓談義になり、流鏑馬、笠懸などの故実を論じながら、草鹿の話にも及んだと記されています。 
錚々たるメンバーで、どんな弓馬の話が出たのか、興味深いところです。


<草鹿式とは>

現在行われている草鹿式は、的場や作法は三々九手挟式とほぼ同じですが、元来は競技です。 
射手の体配、弦音や矢飛び、的中有無、的中した後の矢の落ち着き所、
および的中してから矢が落ち着くまでの経緯といった点を総合的に判断して、
奉行が的中と認めたものが「中り」となります。

<的>

現在の草鹿式で用いられる的は、草ではありませんが詰め物をして鞣革で被った鹿の形をした的を使用し
、的には大小24個の白い星があります。中央の大きな星は「定(さだめ)」と呼び、直径三寸(約9㎝)です。
定めの四隅のやや大きな星の直径は二寸、他は一寸です。 的の大きさは次のように定められています。
胴の幅は星の大きさから自ずと決まるということか定めがありませんが、ほぼ一尺(約30㎝)といったところです。

・長さ一尺八寸(約54.5㎝);胴の長さ
・立さま八寸五分(約25.8㎝);脚の長さ
・項の長さ 七寸五分(約22.7㎝);頭の長さ
・つらの長さ 三寸五分(約10.6㎝);顔の長さ

<的までの距離>

弓立所と的皮までの距離は11杖(つえ;並寸の張り弓の長さ 2.21m)、的皮の1杖半前に的を立てるので、
射手から的までは9杖半(約21.5m)ということになります。
本来は、鹿の後ろには山があるものということで安土(本来の字は、土偏に乃に木)を背にして的を立てるものだそうですが、
執行に際して安土を作ることが困難ですので、現在は的皮(写真の青い布)を用いています。

<繰り立ち>

前弓・後弓の射手は同数ですが、大将射手を除いて三名以下の場合には前弓・後弓の射手が一人ずつ弓を引きます。
四名以上の場合には、前弓の射手全員が射蓆に立ち、先頭の射手が弓を引き、
引き終わると最後尾に付く「繰り立ち」という作法を行います。

<弓>

白木弓、白弦とされていますが、塗弓でも良いようです。

<矢>

的矢を使うと的に刺さって痛めるので、四目鏑(四つ穴のあいている鏑矢)または神頭矢を用います。

<数塚>

的中した矢の数を数塚に串を立てることで示します。串を立てるにも作法があり、
所作を誤ると奉行から「体配違いにて捨て申し候。射手おこう」と言われ、せっかくの的中が無になりますので、
射手は引き終わっても緊張をゆるめることはできません。



前弓と後弓では足捌きが逆になり、数塚の中央に弓を添えて甲矢(はや;一本目)は弦の手前、
乙矢(おとや;二本目)は弦を超えて向こう、と立てる位置が異なります。

大将は一本の的中が二本と数えられますが、大将も一手(ひとて;二本)しか引きませんので、
大将戦が始まる前に五本の差が付くと勝負が決し、大将戦は行われません。

*** こぼれ話 ***
平射手(ひらいて;大将以外の射手)の的中数によっては、後弓の判定に際して、
「大将戦まで持ち込ませたい」との的奉行の個人的な采配が働く可能性があるかもしれません。
注意してご覧下さると楽しめると思います。



※ また、当会の草鹿式においては、小蟇目と呼ばれる高く鋭い

音響を発する矢を用いる射手もおり、普通の弓道では目にすること

の無い珍しい矢を見る(聞く)こともできます。

これは、本来的には競技用のものであり、江戸時代に使われていた

ものですが、現在においては衰退し、なかなか目にする機会が

無くなっています。



         
         
         





Copyright (C) Ogasawara-ryu Kamakura-Ryoyukai All Rights Reserved